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札幌地方裁判所 昭和58年(ワ)1083号 判決

原告

今野愛子

原告

今野渉

原告

古関桂子

原告

今野稔

右四名訴訟代理人弁護士

山崎俊彦

品川吉正

被告

社団法人全国社会保険協会連合会

右代表者理事

鳩山威一郎

右訴訟代理人弁護士

山本穫

主文

1  被告は、原告今野愛子に対し、金一二〇九万八四一六円及びこれに対する昭和五七年一一月二三日から支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告は、原告今野渉、同古関桂子及び同今野稔に対し、それぞれ各金四〇三万二八〇六円及びこれに対する昭和五七年一一月二三日から支払い済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

3  原告らのその余の請求を棄却する。

4  訴訟費用は、これを二分し、その一を被告の負担とし、その余を原告らの負担とする。

5  この判決は、原告ら勝訴部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  原告ら

1  被告は、原告今野愛子(以下「原告愛子」という。)に対し、金二五九五万四七九八円及びこれに対する昭和五七年一一月二三日から支払い済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告は、原告今野渉(以下「原告渉」という。)、同古関桂子(以下「原告桂子」という。)及び同今野稔(以下「原告稔」という。)に対し、それぞれ各金八六五万一五九九円及びこれに対する昭和五七年一一月二三日から支払い済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決及び仮執行の宣言を求める。

二  被告

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

との判決を求める。

第二  当事者の主張

一  原告らの請求の原因

1  (本件事故の発生)

ⅰ 訴外今野富一(大正一四年四月六日生れ。以下「訴外富一」という。)は、昭和五七年一一月一九日、咽喉ポリープの切除のためのマイクロ手術を受けるため、被告が運営する札幌市豊平区中の島一条八丁目三番一八号所在の北海道社会保険中央病院(以下「中央病院」という。)に入院し、被告との間において、そのために必要な検査及び施術を受けることを目的とする医療契約を締結した。

ⅱ そして、訴外富一は、同月二二日午前九時一五分頃、中央病院において、同病院耳鼻咽喉科担当医師和田繁及び三ケ田明是の判断、指示の下に、同科看護婦山下妙子から、全身麻酔手術の術前検査の一環としての肝臓検査のためのインドシアニングリーン(indocyanin green)(第一製薬株式会社の製造にかかるもので、商品名「ジアグノグリーン」。以下「本件薬剤」という。)の静脈注射の施術を受けたが、同日午前九時四五分頃、本件薬剤の薬物ショックにより死亡した(この事故を以下「本件事故」という。)。

2  (被告の責任)

ⅰ 本件薬剤に対する過敏症、ヨード過敏症又はアレルギー性素因のある者に本件薬済の注射をした場合にはショック症状を呈することがあり、本件薬剤には右のような副作用があることは本件事故当時既に広く医師等の間で知られているところであった。

したがって、担当医師の和田繁又は三ケ田明是は、本件薬剤の注射を行う前に十分な問診を行って、訴外富一が本件薬剤に対する過敏症、ヨード過敏症又はアレルギー性素因のいずれの素因をも有しないことを確認し、本件薬剤の投与によるショックの危険がないことを十分に確認すべき注意義務があるのにこれを怠り、訴外富一に対し単にこれまでに一般に薬物による副作用があったことなどがあるかどうかを漠然と問い掛けたにとどまって、右の危険性の有無の確認を怠った過失により、本件事故を発生させたものである。

また、担当医師は、本件薬剤の注射に先立って、微量の本件薬剤を患者の皮内に注入してその反応を観察するなど方法による予備検査を実施し、本件薬剤の投与によるショックの危険がないことを確認すべき義務があるのにこれを怠り、なんらの予備検査も実施しないまま訴外富一に本件薬剤の注射をした過失により、本件事故を発生させたものである。

ⅱ さらに、担当医師は、本件薬剤の投与によるショックが発症した場合に備えて事後的な救急処置がとれる態勢を整え、ショック症状の発生後直ちに血管、気道及び心臓機能の確保のための各種薬剤の投与、酸素投与、気管切開、心臓マッサージ、カウンターショック等の緊急処置をとって、生命に対する危険を回避すべき注意義務があるのにこれを怠り、不十分な救急態勢のままにこれらの各処置をとらなかったり時機を失した過失により、本件事故を発生させたものである。

3  (損害)

訴外富一又は原告らは、本件事故によって、次のとおり合計五一九〇万九五九六円の損害を被った。

ⅰ 逸失利益(訴外富一)二九六五万七二九三円

訴外富一は、本件事故当時、北炭真谷地炭鉱株式会社に勤務し、一か年あたり五三三万二六〇七円の収入を得ていたものであって、向後少なくとも七年間は稼働し得たものである。

したがって、同訴外人の逸失利益は、前記のとおりとなる(生活費控除三〇パーセント、新ホフマン係数による中間利息控除による。)。

ⅱ 慰謝料(訴外富一) 一六〇〇万〇〇〇〇円

ⅲ 葬祭費(原告ら) 一五三万一七四九円

ⅳ 文書料(死亡診断書二通)(原告ら) 一五〇〇円

ⅴ 本訴の提起、追行に対する弁護士費用 四七一万九〇五四円

4  (相続)

原告愛子は訴外富一の妻、原告渉、同桂子及び同稔はいずれも訴外富一の子であって、訴外富一の死亡により同訴外人の財産に属した権利を相続によって承継した。

5  (結論)

よって、原告らは、被告に対し、医療契約の債務不履行による損害賠償又は民法七一五条一項の規定による損害賠償として、原告愛子については二五九五万四七九八円及びこれに対する本件事故の日の後の昭和五七年一一月二三日から支払い済みに至るまでの間の民法所定の年五分の割合による遅延損害金の、原告渉、同桂子及び同稔についてはそれぞれ各八六五万一五九九円及びこれに対する前同日から支払い済みに至るまでの間の前同割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因事実に対する被告の認否

1  請求原因1の事実は、認める。

2  同2の主張は、争う。

本件薬剤の投与による副作用は、軽度の皮膚症状を含めて、概ね六万七〇〇〇例に一の割合で発症をみているものであり、また、死亡例は概ね六二万六〇〇〇例に一の割合に過ぎないのであって、本件薬剤の投与に通常伴うものではなく、極めて稀に惹起する症状である。

また、本件薬剤の投与による肝臓機能の検査は、本件薬剤の一定量を一度にすみやかに被検査者に注入し、一定時間後の血液中の残余量を測定することによって肝臓の機能を検査するのであるから、事前に本件薬剤を注入して予備検査を行ったのでは正確な検査値が得られず、原告らの主張するような予備検査の方法を採用することはできない。

3  同3の主張は、争う。

4  同4の事実は、認める。

第三  証拠関係〈省略〉

理由

一本件事故の発生状況等について

先ず、本件事故の発生状況についてみると、請求原因1(本件事故の発生)の事実は当事者間に争いがなく、右争いがない事実に〈証拠〉を総合すると、次のような事実を認めることができ、これを左右するに足りる証拠はない。

1  訴外富一は、昭和五七年一〇月一五日頃、咽頭に異物感を感じたなどの自覚症状に基づき、夕張炭鉱病院で診察を受けて咽喉ポリープと診断され、中央病院においてポリープ切除のためのマイクロ手術を受けるべく、同年一一月一九日、同病院に入院した。

2  そして、中央病院の耳鼻咽喉科の担当医師の三ケ田明是及び和田繁は、同月一九日及び二〇日の間接咽喉鏡検査等による診察の結果、訴外富一の症状を重度浮腫状声帯と診断して、全身麻酔を施したうえでの咽喉マイクロ手術を施術するのが相当であると判断し、訴外富一に対する全身麻酔の施術の適否を検査するため、同病院においてこのような場合の検査方法として一般的に採用されている一連の検査である本件薬剤による肝臓の機能検査、血液検査、血糖検査、血清学的検査、生化学検査、尿検査、糞便検査、心電図の検査、肺機能検等を訴外富一に受検させることとして、その旨を担当看護婦等に指示するとともに、右和田繁は、同月二〇日の前記の診察に際して、訴外富一に問診を行い、家族歴、既往病歴等の確認に併せて、過去における薬による副作用の発症の有無を質し、訴外富一がこれまでに薬剤による副作用を発症したことがなく、アレルギー性疾患の既往病歴もないと答えたことから、薬物に対する格別の過敏症はないものと判断した。

3  中央病院の耳鼻咽喉科の担当看護婦山下妙子は、昭和五七年一一月二二日、前記の指示に基づいて前記の検査のうちの本件薬剤による肝臓機能検査を実施することとし、同日午前九時一五分頃、本件薬剤の所定の用量(被検者の体重一キログラムにつき〇・五ミリグラム)に従って注射用蒸留水で溶解して注入液を調整し、訴外富一の病室において、先ず訴外富一から対照用の血液を採取した後に、所定の用法どおり注射器により訴外富一の肘静脈から本件薬剤を含む右注入液の注入を開始し、訴外富一において特に不定症状等を訴えることもなかったので、そのまま注入を継続した。

4  ところが、訴外富一は、右注入液の大部分の注入が完了した時点において、突如として苦痛様表情を呈し、左腕等のしびれを訴えたので、右山下妙子は、直ちに右注入液の注入を中止したが、訴外富一は、胸を押さえるなどして呼吸困難を訴え、顔面の蒼白状態を呈し、同日午前九時二〇分頃には、時々自発呼吸はあったものの、心音・脈拍を感知させず、全身チアノーゼ症状を呈するようになった。

担当医師らは、右の間においては検査に立ち会ってはいなかったが、同病院耳鼻咽喉科部長吉田真子及び同病院内科医師らは、同日午前九時二〇分から二五分頃以降になって臨床し、救急用トレイを前記病室に持ち込み、次いで他の患者と相部屋の右病室から他の個室へ訴外富一を移動させ、訴外富一の血管、気道及び心臓機能の確保のため、体液様組成溶液の点滴、副腎皮質ホルモン、強心・昇圧剤、呼吸促進剤等の各投与、酸素吸入、心臓マッサージ、エアウエイの挿入、アンビュウバックによる強制呼吸、カウンターショックなどの施術を行ったが、訴外富一は、同日午前九時四五分頃には血圧、脈拍、呼吸とも測定不能な状態に陥り、その後に蘇生の可能性を求めて行われた気管切開、レスピレーターの装着等も結局は効を奏せず、極めて短時間に広範囲にわたって生じた虚血変化による急性循環不全を原因として死亡したものである。

5  そして、以上のような一連の経緯によれば、右の虚血変化による急性循環不全が本件薬剤によって惹起されたショックによるものであることは明らかである。

二本件薬剤の用法及び作用等について

そこで、本件薬剤の用法及び作用等について検討し、併せて本件事故の発生の経過を分析すると、先ず、〈証拠〉を併せ判断すると、次のような事実を認めることができる。

1  第一製薬株式会社の製造にかかる本件薬剤(商品名「ジアグノグリーン」)は、トリカーボン・シアニン系の色素であるインドシアニングリーン(略称「ICG」)を成分とする薬剤であって、これが血液中に注入されるとリポ蛋白と結合して肝臓に取り入れられ、その大部分が肝汁中に排泄されて腸肝循環、腎での排泄、尿中への出現がほとんどないなどの特質があるため、血管内に注入された右の色素の血中濃度を経時的に測定することによって肝細胞機能、肝血流量及び肝汁排泄機能を知ることができるところから、特に慢性肝疾患(肝硬変など)のある患者に対する肝臓機能検査の一つとしての色素負荷試験用の薬剤として効果があるものとされ、我が国においては昭和三七年頃に肝臓機能検査法として有用であることが報告されて以来、それまで広く採用されていたブロムサルファレン(bromsulfalein略称「BSP」)を用いる検査法に比較して副作用が少なくかつより的確な検査数値が得られるとされ、これに代わり又はこれを補うものとして、次第に広く使われるようになったものである。

2  そして、本件薬剤に添付されている第一製薬株式会社の作成にかかる医薬品使用説明書(いわゆる能書)によれば、肝臓機能検査のための本件薬剤の用法は、通常、先ず、本件薬剤を注入する前に被検者から対照用の血液三ミリリットルを採取し、次いで、本件薬剤二五ミリグラムを五ミリリットルの注射用蒸留水で溶解して、被検者の体重一〇キログラムにつき一ミリリットルの右注入液(被検者の体重一キログラムにつき本件薬剤〇・五ミリグラム)を被検者の肘静脈より三〇秒以内に注入し、その後、本件薬剤を注入したのとは反対側の肘静脈から経時的(例えば、五分後、一〇分後及び一五分後)に三回にわたって採血することとし、このようにして採血した血液及び対照用の前記血液に一定の処理を加えたうえ、各時点における本件薬剤中の色素の残留濃度を測定するというものであり、これが本件事故当時においても一般に承認されていた本件薬剤による標準的な検査方法であって、担当看護婦山下妙子が本件薬剤を訴外富一に注入した際の用量及び用法もこれに準拠したものであって、そこには一般に承認された用量及び用法への違背のないことは先に認定したところから明らかである。

3  ところで、本件薬剤又はこれと同様のインドシアニングリーンを成分とするその他の薬剤(本件薬剤のほかインドシアニングリーンを成分とするその他の薬剤を併せて単に「本件薬剤」という。)が肝臓機能検査の一つとしての色素負荷試験用の薬剤として広く採用されるに及び施行症例数が増加するに従って、研究者又は実務家等から本件薬剤の注入による副作用特にショック症状の発症をみることがあることの報告がされるようになった(例えば、昭和三八年に本件薬剤の副作用と推定される一事例が報告された(第四回肝機能研究会)のをはじめとして、一般の医学雑誌等においても、研究対象四三症例中の本件薬剤の副作用と推定される三症例の報告(「肝臓」七巻一号・昭和四一年)、研究対象四四五症例中の本件薬剤による軽いショック症例一例を含む副作用症例二例の報告(「診断と治療」四七巻六号・昭和四九年)、ショック症例一例を報告したもの(「日本消化器病学会雑誌」七一巻六号、昭和四九年)、研究対象三〇二症例中の本件薬剤によるショック症例一例を含む副作用症例三例の報告(「薬理と治療」一〇巻補遺一号・昭和五七年)がされている。ほか、厚生省薬務局安全課発行の医薬品副作用情報(厚生省薬務局安全課が医薬品の副作用について医師の自発的な報告などの方法によるモニタリングの結果を集積して発行するパンフレット)は、「インドシアニングリーンについては承認時より静注でまれにショックをおこすことが知られており、モニター報告にもショック症例が散見されていたが、今回重篤なショックによる死亡症例が企業より報告されたので、それらをあわせて紹介する。」として、明らかなショック症例二例を含む副作用症例五例を掲げ、また、「インドシアニングリーンの企業による承認時及び副作用報告義務期間における調査によれば、昭和四八年八月迄にショック様症状をおこした症例は六九二三症例中五例(〇・〇七パーセント)である。」と記載しており(昭和五〇年一〇月)、また、その後に発行された右医薬品副作用情報は、昭和五二年四月から昭和五七年三月までの間のモニタリングの結果として、死亡に至る重篤なショック症例三例を含む副作用症例二八例を本件薬剤の副作用として報告している。

4  以上のような状況に対応して、昭和五〇年頃以降に本件薬剤に添付されている第一製薬株式会社の作成にかかる医薬品使用説明書は、使用上の一般的注意として、「まれにショックを起こすことがあるので、適応の選択を慎重に行い、診断上本検査が必要の場合には、使用に際して次の諸点に留意すること。」として、「ショックなどの反応を予測するため十分な問診を行うこと」、「本剤の使用に際しては、常時、ただちに救急処置のとれる準備を整えておくことが望ましい」ものとし、また、「本剤に対して過敏症の既往歴のある者」及び「ヨード過敏症のある者(本剤はヨウ素を含有しているためヨード過敏症を起こすおそれがある。)」に対しては本件薬剤を投与してはならないものとし、「アレルギー素因のある患者」に対しては本件薬剤を慎重に投与すべきものとしている。

さらに、右医薬品使用説明書は、本件薬剤の副作用の説明及び注意事項として、ショックとヨード過敏症を挙げ、「まれにショックを起こすことがあるので、観察を十分に行い」、「注入時、口のシビレ、嘔気、胸内苦悶などの症状があらわれた場合には、ただちに注入を中止すること」、「ショック様症状あるいは過敏症状があらわれた場合には、症状に応じ、輸液、血圧上昇剤、強心剤、副腎皮質ホルモン剤等の投与、気道確保、人工呼吸、あるいは酸素吸入、心臓マッサージ、適切な体位をとらせる等の救急処置をすみやかに行うこと」としている。

5  ところで、本件薬剤の投与によるショック症状の発生の機序についてみると、先ず、本件薬剤の投与によるショック症状は、アレルギー反応の一形態であるアナフィラキシー反応によるアナフィラキシーショック(いわゆる抗原抗体反応に伴う過剰な生理的反応の結果として血管作動性物質が生じ、これによる急性かつ全身性の血液の組織還流の低下によるショック症状をいう。)に類似するものの、抗原抗体反応を経ることなくしてアナフィラキシーショックと同様のショック症状を生ずるもので、いわゆる類アナフィラキシーショック又はアナフィラキシー様反応と呼ばれるものに該当するものと一般に考えられているところである。また、本件薬剤の投与によるショック症状の発生原因については、一般に広く行われているヨードを含む造影剤等の投与によっても同様の類アナフィラキシーショック症状が見られ(ヨード製剤に対して過敏反応を呈する体質的素因及び発生症状は一般にヨード過敏症と言われる。)、本件薬剤にもヨードが含まれているところから、結局、本件薬剤中のヨード又はヨードを含む本件薬剤の組成が本件薬剤の投与によるショック症状の原因であると推定される。

また、一般に薬物ショックといわれている症状を臨床的にみると、原因物質が体内に入ると急激に発症し、しびれ感、悪心、嘔吐、胸内苦悶、呼吸困難等に始まって、チアノーゼ、血圧低下、脈拍微弱、意識喪失等の典型的なショック症状を呈し、その発生と転帰が著しく早いのが特徴とされていて、一旦発生すると生命にかかわることが多く、したがって、事後的には迅速かつ適切な蘇生処置をとること(そのような場合においてとるべき措置については、医療関係者の間においては、一応の標準的なものが確立されていたものということができる。)が重要とされているところである。

そして、以上のような本件薬剤の投与によるショック症状の発生の機序及び臨床的所見として一般に知られているところと先に認定したとおりの本件事故に際しての訴外富一の発症状況とを対比して検討すると、訴外富一には本件薬剤に対する過敏症ないしはヨード過敏症の体質的素因が存在していて、本件薬剤の投与によって類アナフィラキシーショックを惹起し、本件事故の発生をみるに至ったものであるといってよい。

6  次に、本件薬剤を投与した場合に右のようなショック症状の発症をみる危険性のある体質的素因を被検者が持っているかどうかの予測方法については、先ず、被検者に本件薬剤に対する過敏症、ヨード過敏症又はアレルギー症状の既往症病歴がある場合においては、問診によってそれが判明することが十分に考えられ、問診が右のような素因の予知のために極めて重要であることはいうまでもない。

しかしながら、問診の成果は、医学的知識に乏しいのが通常である被検者の理解力、過去の体験の的確な認識及び記憶並びにそれを的確に表現する能力、被検者側のこれらの点についての個性に対応して的確な答えを引き出すための質問者側の技術、被検者と質問者との間の一定の信頼関係の存在その他の条件に大きく依存するものであるから、被検者に右のような既往症病歴があるときではあっても右のような前提条件が欠如している場合又は被検者に右のような既往症病歴がない場合においては、問診によって被検者に右のような危険な体質的素因が存在することが確認されなかったからといって、必ずしも直ちに本件薬剤の投与によってショック症状の発症をみる危険性がないものとの結論を導き得るものではなく、したがって、結局、問診は、本件薬剤を投与すべきではない被検者を抽出するという消極的側面においては有用であっても、本件薬剤を投与しても危険性がないことを積極的に確認するにはおのずから限度があるものといわざるを得ず、その意味では問診の効用は概ね片面的なものにとどまるものともいえる。

そして、本件においても、担当医師の和田繁が訴外富一に家族歴、既往病歴等の確認に併せて過去における薬による副作用の発症の有無を質し、訴外富一がこれまでに薬剤による副作用を発症したことがなく、アレルギー性疾患の既往病歴もないと答えたことは先に認定したとおりであるけれども、これによって訴外富一に本件薬剤に対する過敏症、ヨード過敏症又はアレルギー症状を惹起しやすい体質的素因が存在しないものと判断するに十分ではなかったものといわざるを得ない。

7  そこで、進んで他の予備検査の方法の有無及び適否が問題となるが、現在各種のレントゲン検査等に際して広く使用されているヨード系造影剤の投与については、予備検査として極少量の当該薬剤を被検者の静脈に注射してその反応を観察する方法や当該薬剤を被検者の皮内に注射して皮内反応を観察する方法等によってヨード過敏症の有無を検査することが一般的に行われているところであって、医療機関のなかには、本件薬剤の投与に際しても、ヨード過敏症の有無をテストするための予備検査の方法として、ヨード製剤の一種であるビリグラフィンを用いて同様のテストを行っているもの(市立釧路総合病院)、本件薬剤の注入に先き立ち、予備検査として〇・五ミリリットルの本件薬剤を注入して三〇秒ないし六〇秒間経過・反応を観察し、異常がないことを確認したうえ、所定の容量を注入しているもの(美唄労災病院)などがあり、また、昭和四八年に行われたある実験の結果によれば、本件薬剤の注入による副作用と推定される症状の発症のあった被検者に事後的に本件薬剤の一〇〇倍液及び一〇〇〇倍液〇・一ミリリットルの皮内注射をしたところ、皮内反応の結果は陰性であったものの、このような極く微量の本件薬剤の皮内注射によってさえ、軽度の眼瞼浮腫及び眼球結膜の充血が観察され、このような方法も、本件薬剤の投与による副作用に対する一つの有効な予備検査の方法であることが明らかにされている。そして、昭和五五年に発行された看護婦を読者対象とする臨床検査に関する著作(林康之著「Q&A 臨床検査とその介助」)の中には、本件薬剤の注入前にヨード過敏症やICGに対するアレルギー反応の有無を確認することが重要であり、また、皮内反応を試みるのが当然であるとする記述さえみられる。もっとも、本件薬剤による肝臓機能検査は、血液中の本件薬剤の残留量を測定して行うものであるから、予備検査として本件薬剤自体の静脈注射をすることとしたのでは、それが残留している間は本検査によって正確な検査数値が得られないおそれがあり、したがって、予備検査後数日を経過して本件薬剤が完全に体外に排泄されるまで本件検査の実施を留保する必要があることになる。

そして、以上のような事実に鑑みると、本件事故当時においては、それが迂遠であったり医療実務上実際的であるかどうか又は一般的に承認された方法であるかどうかはともかく、被検者が本件薬剤の投与によってショック症状その他の副作用の発症をみる危険性のある体質的素因を持っているかどうかを事前に検査する方法は存在していたし、現にこれを採用している医療機間もあったということができる。

なお、本件薬剤に添付されている第一製薬株式会社の作成にかかる前記医薬品使用説明書には、予備検査に関する記載は一切ない。

三被告の責任について

そこで、以上に説示、認定したような事実関係のもとにおいて、被告の責任の存否について判断する。

1 およそ薬物が一方では有効性を持つ半面で常になにがしかの毒作用を持つものであることは、つとに指摘されているところであり、医薬物は、その毒作用にもかかわらず、それに優越する生命、身体の維持、保全上の必要性及び有効性の故に、そのもたらす毒作用を副作用として位置づけ、薬事行政上あえてその使用を承認されているものにほかならない。

そして、薬物の副作用の一つであるいわゆる薬物ショック症状については、先に説示した以上には未だその発生の機序が十分には解明されておらず、特定の薬物について報告されているショック症状の発症率に関する数値やショック症状の発症を予知するための予備検査の有効性には常にある程度の不分明さがつきまとうのを免れないのであって、薬物ショックにかかわる特定の医療場面において医療機関がなすべき措置を一義的に規定することが著しく困難であることは、前項において判示したところからも明らかである。

他方、薬物ショック症状は、その発生と転帰が著しく早いのが特徴であって、一旦発生すると時に生命にかかわることもあり、したがって、事後的には迅速かつ適切な蘇生処置をとることが重要とされていることも先にみたとおりであるが、そうではあっても、ある特定の医療場面において当該薬物の必要性及び有効性が優越するような場合においては、当該薬物の投与によってショック症状その他の副作用の発症をみる危険性があるかどうかを事前に確認しないままに、すべてを万全な事後の救急措置に委ねざるを得ない場合もあり、そのような措置が許容される場合も存在するものといってよいと解される。

したがって、このような事案にあっては、予備検査その他当該薬物の投与によってショック症状その他の副作用の発症をみる危険性があるかどうかを予知するための方法をとることの要否又は適否も、結局、個々の事案における当該薬物の必要性及び有効性と事後又は施術に併行した救急態勢の万全さとの相関関係において判断されるべきものであって、予備検査から事後の救急措置までの一連の過程を個々の場面に分断し、そのそれぞれについて関係者の個々の注意義務への違背を問うのは必ずしも適切ではないものというべきである。

そして、医薬物は、それが広く普及して使用されるにつれて、新たな副作用が報告され、また、副作用の発症を予知するための有効な予備検査の方法等が提案されるなどして、当該医薬物に関する状況は常に流動することを免れないのであるから、医療機関及び医療関係者としては、単に当該医薬物の使用説明書の記載に準拠しておれば足りるというものではなく、常に医薬事の各種情報に精通して、当該時点において現実的かつ実際的に可能な限りでの措置を講じるべき注意義務があるものというべきである。

2 以上のような観点に立って、本件について検討するに、先ず、本件事故当時においては、医学雑誌その他の各種公刊物による死亡症例を含む症例の報告及び本件薬剤の使用説明書の記載等によって、本件薬剤をそれに対する過敏症、ヨード過敏症又はアレルギー症状を惹起しやすい体質的素因を有する者に投与した場合においては、ショック症状の発症をみる可能性のあることは、広く医療関係者に知られていたことであり、また、本件薬剤をはじめとする薬物の投与によるいわゆる薬物ショックの一般的な臨床的症状及びその危険性の程度とその発症をみた場合においてとるべき標準的な事後的救急処置は、それを実践的な課題としてみる限りにおいては、医療関係者の間で概ね共通の認識があったといってよいことは、先に説示したところからも十分に窺うことができる。

したがって、訴外富一の診断、治療に当たった被告の中央病院における担当者としても、本件薬剤を投与するに当たっては、これらのことを当然の所与の前提として、不測の事態を可能な限り回避することができるような態勢をもって臨むべき注意義務を負うものであることはいうまでもない。

そして、被告の中央病院の担当者が訴外富一に本件薬剤を投与しようとしたのは、全身麻酔の施術の適否を検査するための一連の検査の一環としてであって、本件薬剤の投与が訴外富一の生命、身体の維持、保全を図るうえで緊急を要しかつ不可欠であるといった状況にあったものではなく(〈証拠〉によれば、本件薬剤は、慢性肝疾患、特に肝硬変の予後の検査等にもっとも適した検査薬であって、右のような全身麻酔の施術の適否を検査するための検査薬としては必ずしも不可欠のものではなく、他の方法による肝臓機能検査と代替することもできるものであって、現に中央病院においても、本件事故の発生後においては本件薬剤の使用を中止したことを認めることができる。)、その意味においては、本件薬剤を訴外富一に投与することの必要性及び有効性は必ずしもそれほど高くはなく、また、本件薬剤を緊急に訴外富一に投与しなければならない事情もなかったのであるから、そこでは、予備検査として本件薬剤自体の静脈注射を施し、その安全を確認したうえで、後日に本検査を実施するなどの方法をとることもでき、また、事後的な救急処置のための十分な態勢を整えることのできる時機を選択して本件薬剤を投与することなどもできたのであるから、中央病院の担当者としては、他の場合に比し、事前の予備検査等及び事後の救急処置の両面においてより広い選択の幅を持っていたものというべきであり、その限度において、右の両面につき注意義務が加重されるものというべきである。

3 そこで、以上のような前提に立って、中央病院の担当者が本件薬剤を訴外富一に投与するについて負うべき具体的注意義務についてみると、本件事故当時においては、未だその有効性に若干の不分明さが残っていたとはいえ、一応本件薬剤の投与によるショック症状その他の副作用の発症の危険性があるかどうかを予測するそれなりに有効な各種の予備検査の方法が多くの医療機関において試みられていたのであるから、中央病院の担当者としては、敢えて本件のように単なる全身麻酔の施術の適否の検査として本件薬剤を使用しようとするものである以上、本件薬剤の投与に際しては、担当医師又はその他の適格性のある医師が本件薬剤の投与に立ち会ったうえで、本件薬剤の投与によるショック症状の発症の初兆の捕捉に万全を期する態勢をとり、右の初兆がみられたときには直ちに標準的な事後的救急処置をとることができる十分な態勢が整えられているのというのではない限り、先に掲げたような諸種の予備検査のうちのいずれかによって、被検者が本件薬剤の投与によってショック症状の発症をみる危険性のある体質的素因を持っているかどうかを事前に検査すべき最少限度の注意義務を負うものというべきである(この場合において、問診が本件薬剤を投与しても危険性がないことを積極的に確認するには必ずしも有効ではなく、本件において担当医師の和田繁が訴外富一に対してした問診が右の目的のために十分なものではなかったことは先に説示したとおりであって、これによって右の予備検査を実施すべき義務が軽減又は免除されるものということはできないものというべきである。)。

4 ところが、本件においては、担当看護婦の山下妙子が訴外富一に本件薬剤を注入するに際しては、医師の立会いはなく、担当医師その他の医師が臨床したのは訴外富一にショック症状の初兆がみられた後の相当の時間が経過してからであったし、それから危急時に備えての医薬品及び器具を救急用トレイで訴外富一の病室に持ち込んだり、訴外富一を他の患者と相部屋の病室から他の個室へ移動させるなどしたというのであって、そこでの本件薬剤の投与による検査の実施態勢は、先にみた予備検査の実施義務を免除し又は軽減するに足りる事後又は施術に平行しての万全な救急処置をとりうる態勢というにはおよそほど遠いものであったものといわなければならない。

しかるに、中央病院の担当者は、担当医師の和田繁が先に認定したような問診を訴外富一に試みたほかには、なんらの予備検査も実施しないままに(前掲証人和田繁、同山下妙子及び同吉田真子の各証言によれば、この場合、担当者が予備検査を実施することを失念するなどしてこれを実施しなかったというものではなく、同病院耳鼻咽喉科においては、当時同種の検査を受験する被検者が多数あったが、いずれの被検者についても予備検査が実施されたことはなく、同病院における検査の仕組みとしてなんらかの予備検査を実施することは予定されていなかったものであることを認めることができる。)、担当看護婦に本件薬剤の注入をして検査の実施をさせたものであって、被告の被用者である中央病院の担当者には、この点において過失があったものとせざるを得ない。

5 したがって、被告は、民法七一五条一項の規定に基づいて、訴外富一が本件事故によって被った損害を賠償すべき責任を免れない。

四訴外富一の損害及び原告らの相続について

1  訴外富一が大正一四年四月六日生れであることは当事者間に争いがない、〈証拠〉によれば、訴外富一は、本件事故当時、訴外北炭真谷地炭鉱株式会社に勤務していたものであって、定年退職を間近かに控えてはいたが、同社に再就職をしたうえ、向後少なくとも原告らの主張する七年間は継続して稼働することが可能であったこと、訴外富一は、この間、少なくとも従前の年収額の六割に当たる年三一九万九五六四円を下らない収入を得ることができたものであることの各事実を認めることができる。

したがって、訴外富一は、本件事故により現価九三九万七一一九円の逸失利益の損害を被ったことになる(ただし、生活費控除五〇パーセント、新ホフマン式係数による中間利息控除の方法による。)。

また、先に認定した本件事故の態様、被告の被用者の過失の程度、その他の事情を考慮すると、訴外富一の死亡による同人の慰謝料額は、一二〇〇万円とするのが相当である。

2  次に、〈証拠〉によれば、原告らは訴外富一の葬祭費及び文書科として合計一五〇余万円を支出したことを認めることができ、このうち原告らが本件事故による損害として被告に請求することができる相当額は、原告愛子については三〇万円、原告渉、同桂子及び同稔については各一〇万円宛であると解するのが相当である。

また、弁論の全趣旨によれば、原告らは本件損害賠償請求訴訟の提起及び追行を原告ら訴訟代理人らに委任し、相当額の報酬の支払い約束をしていることが認められるところ、本件事案の内容、審理の経過等に鑑みると、原告らは、本件事故による損害として、それぞれ認容額の一〇パーセントを被告に対して請求することができるものとするのが相当である。

3  そして、請求原因4(相続)の事実は当事者間に争いがないところであって、原告らは、訴外富一の被告に対する右損害賠償債権をそれぞれ相続分に応じて相続したことになるから、結局、被告に対して、原告愛子は合計一二〇九万八四一六円、その余の原告らはそれぞれ各四〇三万二八〇六円を不法行為による損害賠償金として請求することができるものというべきである。

五結論

よって、原告らの本訴請求はそれぞれ右に説示した各損害額及びこれに対する本件事故の後の昭和五七年一一月二三日から支払い済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度でこれを認容し、その余の請求は失当としてこれを棄却することとして、訴訟費用の負担については民事訴訟法八九条、九二条及び九三条、仮執行の宣言については同法一九六条の各規定を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官村上敬一 裁判官園尾隆司 裁判官垣内 正)

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